徒然草リターンズ〜これがきゅうちゃんの生きる道〜

アラフィフバツイチのわたしの好きなこと、体験したこと、考えてることなどをつらつらと。

きゅうちゃん史上最大のピンチかもしれない〜トートバッグがひとりで広島市内を旅した話〜

書いていたブログの内容1500文字超をたった今消してしまい、震えてるきゅうちゃんです。

今回の主役は、この江口寿史のイラストの入ったトートバッグ。
明石の「彼女展」に足を運んだ際に、千葉パイレーツTシャツとともに購入したお気に入り。
わたしの旅のお供は最近はもっぱらコレ。

それにVIVA LA ROCKの缶バッジ付きなんて、わたし以外の誰が持っていようか(笑)。

●横川のフタバカフェはキレイだった

広島で、おもろいナルシストのなるさんと立ち飲み。
なるさん、実は超ハイスペックなスーパー塾講師です。広島変人会というラジオもやってます。

てなわけで、この日は初めて横川のフタバカフェにお泊まり。
新しいだけあって、快適です。女性専用ブースもICカードで開閉できてスマート。
ブースもパウダールームもキレイ。
ただ、このネカフェの唯一の難点は「BL本がとりあえず、メタモルフォーゼの縁側読んでほっこり。

シャワーもコインランドリーもあるので、お薦めですけどね。

●福岡行きはバスセンターからしか出ない

というのを忘れて、広島駅から取り直そうとキャンセルしてしまったわたし。
残念!キャンセル料100円かかってしまった。
気を取り直して、最初の便を再び予約。

そしてチェックアウト。この時は確かにトートバッグ持ってた。
そして、忘れてはいけないとチェックした…気はする。

●バスの運転手さんはみんな優しい

目の前に大学病院行きのバス。
以前も確かこれでバスセンターに近くまで行けた記憶があって飛び乗る。
ただし、ICカードにタッチする前に運転手さんに行き先確認。
「停まりますね。紙屋町です。」

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ホッとしたわたし、そのまま一番前の座席に。
ICカードのタッチをこの時点で忘れてる。
「お客さん、前のバスがバスセンター行きだから、あっちの方がいいですよ」
と声をかけられ、「ありがとうございます!」と慌てて乗り換え。
あ、ICカードタッチしてないから、スムーズに乗れたわ。
そして、余裕でバスセンターへ。

●あれ?トートバッグどこだ?

バスセンターに着いて、朝ごはんを食べるためにカフェに入る。席を取るために、荷物を一緒に置いて愕然。
トートバックがない!!
どこで落とした?一生懸命考える。
ネカフェ? 1台目のバス?2台目のバス?

落ち着け落ち着け。

とりあえず、さっき降りた場所に戻る。
もうバスはいなかった。
乗り場に戻り、ネカフェに電話する。
トートバックはなかった。

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バスセンターの案内所に問い合わせをするために並ぶ。
私の前は外国人の女の人で、説明に異様に時間がかかっている。早くしないと、バスの時間が来ちゃう。
焦りに焦ってやっと順番。
「忘れ物なんですけどどのバスに落としたか分からなくて。」
「あいにくですが、ここでは忘れ物はわからないよ。ただ、連絡先を教えてあげられるよ。」

全然それで大丈夫です!!

「1つはJRのバスでバスセンター。もう一つは、会社はわからないけれど大学病院行きです。」と答えると、
「JRのバスはバスセンターの中に係の人がいるので、そっちで聞いてください。
大学病院行きは、広島交通で吉島営業所になるから番号書いておくから、そっちに電話して聞いてみてね。」
との対応。何がありがたいかって、直接で、一番生早く答えがもらえるところに紹介してもらったこと。
まずは、JRに行く。
ここでは対応ができないので、センターに電話するように言われる。
今から九州に帰るので時間があまりないということで、調べてもらうようにお願いをする。

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広島交通には、私は実際には乗っていないのだけれど、慌てて乗り換えたので忘れた可能性がある、
という説明をして調べてもらうことにした。

●諦めていたバッグが見つかった!!

とりあえず福岡行きのバスの予約を1時間下げて、電話を待つ間に、朝ごはんを食べることにした。焦ってもないものはない。
連絡があるまで食べながら待つしかないからご飯を食べた。
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ご飯を食べている途中で、電話が鳴る。吉島営業所からだ。黒いトートバックがあったらしい。ただ、私のものかどうかはわからない。
大学病院の折り返しのバスがある。バスセンターの近くのバス停まで取りに行けるなら、バスに乗せていくので、最寄りのバス停で待っててもらいたい。との事。

なんとそのバスなら、予約変更した便で福岡へ帰れる。これは大きい。
バスの行き先とナンバーを教えてもらってからは、パンが美味しく感じた。
時刻表より数分遅れてバスが到着した時の感動といったら!!
運転手さんに何度も頭を下げた。
本当にありがとう。

そして、1時間遅れで福岡に着いたのでありました。
帰りのバスは余裕見てたので予約変更も要らず。無事に大分着きました!!

本当に神さまおると思った!!

●この旅でわかったこと

・市内のバスの忘れ物はバスセンターでは解決できない。
・それでも、乗ったバスの行き先さえわかれば、そのバスの行き先の管轄の営業所を教えてもらえるので、絶対頼った方がいい。
・バス会社は親切な人が多いので、遠慮せずにお願いすれば、制限のある中でも妥協点はある。
(受け取り場所とか、バス路線内で提案すれば聞いてもらえる)
・知らない土地で乗るバスだけど、乗ったバス停と行き先はチェックしといたほうがいい。
・坐った場所も覚えておくとよい。(きまったとこに坐るとか)
・躊躇してる時間があったらとにかくトライしてみるべし。
知らない土地でも何とかなる。
・諦めない。← 一番重要かも!

ピンチでもとりあえずできることは尽くしてみる。

そうすれば、意外と世界は優しいのではないかと思います。

自分の特性を知ると生きやすくなる〜リワークプログラムとの出会い〜

きゅうちゃんです。

書き終えていたブログをあげ損ねていたので、1年近く経ちましたが、公開することにしました。
今年の1月からのお試し出勤を経て、4月に無事復職、4月末に異動で職場をかわり、今は新しい職場で慣れない仕事に取り組んでます。

それなりに楽しんでおりますが、昨年の9月時点のわたしのブログの始まり始まり。

わたしは、2017年の10月からうつ病で仕事を休んでいます。

●メンタル強いと思っていたわたしが倒れた

まずは、自分の体が思うように動かなくなったことに衝撃を受けました。
休んだ当初はご飯も食べられず、起きることすらできず、だけど元気な時と同じように外には出たくて、体力無いのに無理をして外に行っては、体調崩して寝込んで弱って動けなくて自己嫌悪に陥る、の繰り返しでした。
※基本的に近い知り合いとか関係者には会いたくなかった時期なのですが、誰も知らない県外なら行けたのです。



少しずつ、無理をしなくなって、自分で体力戻すためにジムに通うことができるようになって来た頃、クリニックの先生にリワークプログラムへの参加を勧められました。

●リワークプログラムって?

わたしが通っているのは大学病院の精神科がデイケアとして行っているプログラムです。

最終目標は仕事への復帰と病気の再発防止。
参加者は状態によって、体力回復コース、中期コース、後期コースに分かれ、月曜から金曜の朝9時から16時の間、それぞれのコースに応じたプログラムに取り組んでいます。

●行ってよかったこと

◎病気でなくても役立つプログラムが満載だった。
・マインドフルネス
認知行動療法のグループワーク
ソーシャルスキルレーニングによる、シミュレーションとレビュー
精神疾患発達障害関連本、アンガーマネジメント、マインドフルネスなどの書籍が充実

◎マインドフルネス
心を穏やかに保てるような瞑想や呼吸法などを実践を通じて学ぶマインドフルネスは、緊張をほぐしたり、嫌な気持ちになった時の落ち着き方を自身の身体で学びます。
思考と現実は別物で、わたしたちは思考に囚われて現実を見失いがちであること、事実に目を向けると実は自分の思い込みがことを大きく見せていたりすることに気づくことがあります。

認知行動療法
最初に理論の説明をしっかりと受けてからグループワークに参加します。
グループワークでは、ストレスに直面したケースを参加者から募り、その時の状況を掘り下げながら、自分の思考の偏り、癖を知ることができます。
他者の意見を聞くことで、同じ事象でも違う捉え方があることを知り、自分の思考の癖を取っ払った時にどうなるのかを考えることができます。

前期は体力回復が目的なので、運動や週間スケジュールの振り返り、芸術活動など、軽めのメニューにマインドフルネスと認知行動療法ソーシャルスキルレーニング、個人の勉強をする時間でメニューが組まれています。

中期になると、職場復帰が目的となり、前期の運動や芸術活動の代わりに、JOBトレーニングやグループで発表会やイベントの企画をするグループワークがメニューに加わります。
個人活動の時間は、自己分析が始まります。

●自己分析って?

自己分析では、自分の生育歴や環境から、自分の思考の偏りや行動の癖を確認、整理していきます。
そのうえで、
・なぜ今回の休職に至ったのか
・復職に向けてどうしていくか
・復職後、休職を繰り返さないためにどうしていくか
といったところについて、分析していきます。
それを、レポートにするわけです。

●自己分析発表会

今回の、中期メンバーのグループワークでは、自己分析発表会の企画運営実施がテーマでした。
みんなで役割分担しながら発表会を作り上げるのですが、8月の発表会では運営側として司会を、9月の発表会では発表者として発表する、ということになり、それに向けて準備を進めてきました。

●発表会に向けて

体力が戻ってきたこともあり、復職後も自分のライフワークを続けられるよう、リワークの傍ら、土日には県外のイベントや人に会いにいくことを無理のない範囲で始めています。
できるだけ、日頃のストレスをここで解消して、平日のリワークでは心穏やかに自己分析の作業に取り組むようにしました。
わたしは自己分析のレポートだけで16ページほどあったので、10分間にまとめるのにとても苦労しましたが、スライドはなんとか12枚に収めることができました。
ただ、自分の生い立ちや、休職原因を振り返ることは、わたしにとっては過去の辛いことを思い出す作業であり、精神的にはかなり落ち込みました。
特に、母親とのくだりや仕事でのあれこれは、長年抱えてきた母とのことと、初めて自分にはもうできない、と思った時のことを思い出す作業だったので、精神的にはかなり辛かったです。
そこを人前で限られた時間でどう伝えるか。
精神的に落ち込む中、突発性難聴を発症、毎日ステロイドの点滴を打つことから、副作用による精神的な落ち込みと、身体の浮腫み、だるさが出てきて、身体も少し辛くなった時期もありました。
なんとかまとめてみたものの、言いたいことが溢れすぎて、自分のリハーサルでは17分くらいになるので、どこを削るか、どう説明するかについて考えてきました。

●行動制限

本当に8月の9月の発表会weekは、誘惑との戦いでした。
8月はたいさんとあやちゃんの結婚披露パーティー
これは、南相馬に行く前日のLCCが昼便しかなかったので、その日の夜にあったスナックCandyで2人と飲む会に参加し、直接会って支援金を渡せたことで、自分の中ではふたりに会えてよかった、と思うことにしちゃいました。
9月は名古屋であったDJわいざんとジャイナゴのコラボ、鈴木重雄のソロライブの2連荘。
これは、前の週にRADIOFISHのライブついでに、ジャイナゴのさちこと栄町かせうでランチを食べることで、名古屋に行けたんだから、と諦めることにしました。
そして万全の体制で発表会へ臨みました。




●発表会を終えて

想いが強すぎて言いたい事はたくさんあったけど、できるだけシンプルに、わたしの精神状態が伝わるように、そして、これから復帰を考える人の分析の参考になるように、できるだけ具体的な内容を14分くらいで発表しました。
スライドはアニメーションも付けて、字の大きさをできるだけ大きく、文字数も減らして、見る人が話のスピードで読めるように工夫しました。
自己満足な内容だったかもしれませんが、前期メンバーからたくさんの質問、意見をもらうことができて、より具体的に内容を補足できたので、時間は少しオーバーしたものの、自分なりにはやり切ったかな、と思っています。

まだまだ復帰に向けての第一歩。
リワークもしっかりこなしつつ、自分の時間を楽しむことができるようになれば、復帰は大丈夫だと思っています。
仕事しながらでもあちこち行けるだけの体力と気力を持ち続けられるように、しっかりリワークと休日のメリハリを付けつつ、マイペースで復帰を目指します。

まあ、こんな感じで書ける時は書けるけど、書けなくなると全くダメなので、長い時も、短い時もあるかもしれませんが、ぼちぼちまたブログにも再チャレンジしてみようと思ってます。

失われた10年のはなし

きゅうちゃんです。

自分の子育てについて思い出すとき、わたしはいつもこのことが頭に浮かんで、胸が締め付けられます。

わたしが娘たちにしてあげられなかったこと。
全力で関わってあげること。

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過去のわたしは思い込みで満ち満ちていました。
広い視野を持てなかった。それは特性でもありますが、窮屈な人間でした。

●亭主関白がベストな家庭であるという幻想

自分の育った家庭は、母が父をバカにしていた。
それは、父がギャンブル狂いで 母に迷惑をかけていたので、母からすれば当然だったろう。
でも、わたしは父を尊敬したかった。尊敬できる人であってほしかった。
元夫は、立派で家庭を大切にする人だった。
元夫を立てて、大切に敬う家庭にしたかった。

●立て方を間違えてしまった

元夫を家の一番にするために、わたしは彼を大切に扱い、傅いた。当然娘たちもわたしの背中を見て従ってくれると思っていた。
でも、わたしは元夫をよく見ていなかった。

元夫は、自分の都合のいい家庭を大切にするひとだった。
自分の思い通りにならない時は、全否定する。
攻撃する。叩きのめす。
わたしもそうだったが、理不尽なときも多かった。
自我の芽生えた娘たちは、次第に反抗するようになり、その度に娘たちへの存在否定の言葉が繰り返される。
ただ、わたしは耐えた。夫の暴言も、娘を思うが故。
わたしが夫を否定すれば、わたしの実家と同じになってしまうのではという恐怖の方が強かった。

実家に帰る選択はなかった。夫にすがりつくしかない。わたしが夫に反抗すれば、わたしにようやくできた居場所を失ってしまうことが何よりも怖かったのだ。

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●お母さんに何言っても無駄だよ。お母さんには自分がないから。

自分の思い通りにならない時の娘たちへの暴言については、その場で謝罪を求めるべきだった。
なのに、できなかった。
わたしは怖かったのだ。

そんなわたしを娘たちが見逃すはずもなかった。

わたしは2人の会話を聞いてしまった。

「(お父さんのことについて)お母さんに話してみようよ。」
「ダメだよ。お母さんに言っても無駄だよ。お母さんはお父さんの言いなりで、自分がないから。」

「わたしたちなんか、いなくなっても何も変わらんよ。誰も悲しまんよ。」

はっ、とした。
あんなに自分でいたくて、居場所を求めていたはずなのに、わたしは自分を失い、娘たちからの信用も失っていた。

このままでは、子どもたちが死を選んでもおかしくない状況になってしまう。

もう、躊躇することはない。
わたしが選ぶべくは、子どもたちだ。そう決めた。

●わたしは、いまの自分を殺すことにした

今の弱い自分だと、子どもたちを守ることはできない。
そう思ったわたしは、強くなることを決心しました。
子どもが命を失うと思えば、夫に意見することくらいたいしたことではない。

震えながらも言い返す日々。
子どもを傷つける発言をしたら、「ちゃんと謝って」と言う。
犯人探しが始まったら、「そんなこと言ったら恐ろし
くて誰も本当のことは言えない」と言う。
当たり前のことができてない日々には自分から終止符を打たねば。

わたしは、弱い自分を殺して生まれ変わろうとした。
それは、毎日泣きたいことの繰り返しでもあった。

このころのわたしの日々の状況はこちら。
ebicha0117.hatenablog.com



●PTA役員がそんなに偉いんか!

当時、前夫に意見を言い始めた頃、彼に言われた言葉。
当時、わたしはPTA役員をしてた。
わたしの つらい時期を支えてくれたのはバイク仲間とつげママ。
特に、つげママは一緒に役員をしてて、夜中でも話を聞いてくれた。
一回死んで生まれ変わる、というのも彼女が教えてくれた。
で、「お前たちなんて、生まれてこなければよかったのに」といった子どもを傷つける発言のあと、
「それはひどい言葉だからちゃんと子どもたちに謝って!」といったわたしに吐き捨てられた言葉。
わたしは、親としてこの子らを守らないといけない。
腹が座った。

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このくらいできてればよかったのかも・・・。

●わたしは、あなたたちがいてくれるだけで嬉しい

とにかく、この言葉を伝え続けた。毎日、毎日。
娘たちが、学校でいじめられた話を打ち明けてくれるようになった。
どうしてくれようか。
わたしなりの復讐を考える。夜道で待ち伏せして殴ってやろうか。
雑巾のしぼり汁を頭からかけて同じ目に合わせてやろうか。
そんな話を娘たちにすると、娘たちはびっくり。
「いや、そこまでしなくてもいいよ。」
「だって大事な娘たちをひどい目に遭わせたら100倍返さんと気が済まん。」
母にはそのくらいの覚悟があるよ、ということは十分伝わり、
いろんな相談をしてくれるようになった。
「母は、絶対に私たちを見捨てない。助けてくれる。」
ずっと失っていた娘たちからの信頼を、失った10年を少しだけ取り戻せた、そう実感した時期だった。

10年間、つらい思いをさせてごめんね。
今頃になって遅いかもだけど、母はあなたたちを心から愛してる。

それから20年、仲良し母娘です。
あの時頑張って本当によかった。

生きて30歳を迎えてくれた娘たち、ありがとう。

原点はここにあった!!

どうも。きゅうちゃんです。

こないだの土日は、昔一緒にツーリングチームを作っていた女子ライダーのみんなと会ってました。
その時に、みんなで通っていたスクールで、事務局をしてくれていたべにさんが大分の杵築市に移住してきたのです!!
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そんなわけで10数年ぶりの再会となりました。

集まれる仲間で持ち寄りパーティー


わたしは低糖質のケーキと、豚の角煮大根と、棒棒鶏的な酢物を作って持っていきました。集まって思うのは相変わらずみんなパワフル。



わたしの子育ての1番大変な時期を一緒に過ごしてくれたメンバーなので、本当に今までの苦労をわかってくれている。

あの時に、子どもたちが死んでしまうんじゃないかとかほんとにいろんなことを悩んだんだけどその時に寄り添ってくれたみんな。

そのころのわたしのようすはこちら。
ebicha0117.hatenablog.com


旦那とうまくいかずにすごく辛かった時に
こんな関係はおかしいよ。これはDVだよ。
えみちゃんが決心して頑張らないと。
絶対におかしいよ。
って言ってくれた。

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本当に的を得たアドバイスだったのに、わたしは受け入れることができなかった。

その時に言われた「これはDVだよ」、ていう言葉を自分で受け入れるのに10年以上かかりました。
その時どれだけみんながわたしのことを見ていてくれたのか、支えていてくれたのかが本当によくわかりました。ありがとう。

なので集まった時も、その時の話が多くなります.。
あの時がんばったね、偉かったね、と言ってくれたのも、ほんとにその時の苦労を横で見てくれていたからだなと思ってます。

バイクで楽しく走るだけじゃなくて、ほんとにいろんなことが話せる良い仲間でした。

バイクに乗らなくなってるとあまり会わなくなっちゃったんだけど、でもそれはそれでタイミング。

わたしは足の手術をして歩けるようになったんだけど。股関節の置換手術ね。
みんなは歩けない当時のまま。
すごく私の足のことを、気にかけてくれる。
階段大丈夫。段差あるよ。気をつけて。
全部あのときのまま。

本当にありがたい。
でも聞いて、。わたしは、足を手術したから歩けるようになったんだよ。
今はもう痛くないんだよ。
どれだけだって歩けるんだよ。
毎日楽しいよ。
別にオールスタンディングで1日でも全然大丈夫なんだよ。

気がついたらメンバーの誰よりも元気になっていました。年上なのにね。

1番年上のべにさんはすっかり家庭農園のおいしい野菜をみんなに食べさせるおばちゃんと化し、はるちゃんは相変わらず飄々としてる。
ともちゃんはいろいろ苦労もあったみたいだけど、キャンピングカーでここまで連れてきてくれて、さすがだし、しのぶちゃんも相変わらず美味しいものへのこだわり半端ない。

何年経っても大事な仲間。

朝ごはんも、べにさんの作った新鮮な野菜たちをいただく。


本当に幸せな朝ごはん。
大切な仲間。

ほんと、ありがとう。

また、集まろうね!!

レッツゴー高知&香川!!〜春は四国が熱い〜

みなさんはしなやかフェスって知ってますか?

これまで、四日市で3回開催されたフェスです。

何のフェスかって?

農業の生産者と消費者の壁をぶっ壊すフェスなんですよ!!

ぶっ生き返すではありません。ぶっ壊すです。

農業が何のフェスやるんだって?

感謝祭ですよ。

生産者(作ったひと)の目の前で、消費者(食べるひと)たちが、一斉に食べて、感想を言って、みんな幸せな気分で終わる感謝祭。

そこからは打ち上げです。

バーベキューでは、全国の賛同者から提供された美味しいさまざまな食材を楽しめます。




そして、いろんな技を持つひとたちのブース。
似顔絵あり、整体あり、チャイの振る舞いあり、アクセサリーあり、美味しいコーヒーあり。悩み聞き屋あり、切り絵あり、音楽あり。
スライムのワークショップあり、読み聞かせあり。




さらには音楽ライブやDJで、みんなで踊る!!
ピアノの演奏にチャレンジした方の発表会や、農家ファッションショー。






この間にも、SNSで繋がったひとと出会う体験。初めましてのひとと出会う体験。
思い切って参加してよかったというのがわたしの実感。
最後のDJでは、自然とみんな笑顔でハイタッチしてる!!



素晴らしい体験ができるフェスなんです!!

わたしの感想ブログはこちら。
http://ebicha0117.hatenablog.com/entry/2018/10/11/121559

これが、今回なんと高知で開催されるんです!!
地域へ飛び出すわけなんです。

公式ページはこちら
【公式】しなやかフェス2019秋 四日市

●「ひと、もの、こと」の化学反応の場から、「ひと、もの、こと、地域」の化学反応の場へ

わたしがこのフェスをひとに話すとき、参加する「ひと」、作る「ひと」、提供する「ひと」それぞれが繋がり、刺激を受け、農作物や食材、出展者の品物「もの」、出店者の提供するサービス「こと」が掛けあわさることで、いろんな化学反応や進化が起こる場「フェス」なんだよね、っていう話をするのですが、今回は新しい地域に飛び込む、まさに「地域」という掛け合わせが増えたことでどんな化学変化が起きるのか。
もうワクワクしかありません!!

当日現地に行けるひとも、行けないひとも楽しめるクラウドファンディングはこちら!!
https://readyfor.jp/projects/shinayakafes2019

行けるひとは、現地で楽しめるコンテンツを、行けないひとは、現地に行ったつもりになれる美味しーい食材を手に入れたらいいと思う!!

●しなやかフェスだけで終わると思うなよ(笑)

翌日は、香川県三豊市で「ゴキゲンフェス」が開催されます。

毎朝、ゴキゲンな気分になれるTweetを見たことのある方もいるかもしれません!
そう、あのゴキゲン藤田さんのイベントが翌日の4/14に香川県で開催されるんです!!

しなやかフェスだけじゃないんだわ〜。

なんと、高知からは2時間くらいで行けるところ!!
これは、両方行くのがお得な感じするよね!!

2日連続のDJわいざんなんて、最高すぎるやん!!
さらにはエアリアルやゴキゲンさんの絵本を高校生が朗読する時間もあり!

4月は四国が熱い!!!!

この2日間、一緒に楽しんでしなやかにゴキゲンになりましょう!!

全国の距離感麻痺のひとたちと巡り会えるチャンスです!

一緒に楽しみましょうよ!!

ありがとうと言わせてクレ〜本気の呉ツアーはマジでハンパなかった!!

きゅうちゃんです。

もう4月になろうかというのに、11月のブログを書き終えられません。

いい加減諦めながら書いてます。

カナダのロッキーの帰国に合わせて、本気の呉ツアーに参加してきました!!

●ロッキーって誰?

カナダでトレッキングガイドをしているロッキーは、年に一回日本に帰ってきて全国の会いたい人たちに会うために全国を回ってます。

たとえ、こんなトラブルに見舞われても笑いに変えて楽しむ、人生の達人。

そして、Twitterなどで交流を積極的にやってる。
わたしからしたら、ホント凄いひと。

●呉に駆けつけた理由

そんなロッキーに会ってみたくなったわたしは、ロッキーの動きを追っていきます。

リワークにできるだけ出席したい、となると、土日。
わたしの友達のちびぃが、大阪でのオフ会を企画。
「これだ!!」と喜んだのもつかの間、この日は友達の結婚式だったため、大阪へ行くことは叶わず。

そこに入った「本気の呉ツアー」。
なんと、ロッキーだけじゃなく、北海道のタムタムも参加とは!!
タムタムは、北海道の蘭越で、太陽米やかぼちゃ、アスパラなどを作っている農家のお母ちゃんで、しなやかフェス2018秋の農家ファッションショーの仕掛け人でもある。

緑色のTシャツがタムタム

太陽のように明るくてステキな女性。
しなやかフェスで会うことができたけど、もっとゆっくり会ってみたいひと。

そして、前回の「本気の呉ツアー」には、母が施設に入ったり、いろいろ家のことが立て込んでて参加できなかったこと、呉が豪雨災害に遭って、まだまだ大変なので、少しでもお金を落としたいと思い、呉に決めました!!平日だけど。

夜行バスで行けば、朝イチ集合できるし、なんたって広島駅前にはフタバ図書のネカフェあるし。
(シャワーあるし、BL漫画読み放題だしww)

というわけで、呉に行ったわけですよ!!

●ツアー当日




ネカフェでギリギリまでBL漫画を読んでおり、集合時間ギリギリにたどり着けば、もう新幹線はホームに来てて、改札でみんなを待つことに。

そして、ロッキーとは初めましてのハグ!!

奥さまと、タムタムと、ともこさんと、ワカと無事合流。
まずは電車で原爆ドームへ。
あわてんぼうのきゅうちゃんは、ここで違う電車に乗ろうとしてワカに止められる。
(こうやって 1トラベル1トラブル は生まれていくのです)

みんなで電車で原爆ドームへ。

原爆ドーム平和祈念公園原爆資料館

ここで、テレビの旅番組のような出演者登場!!
まずは、純ちゃん。
そして、さりげな〜く、ナルさん。
最後に、めぐっち。

ここでのメンバーが揃ったところで、資料館へ。
いろんな歴史観があり、いろんな考えの人たちがいて、メンバー同士の会話を聞いてるだけでも本当に面白い。

わたしは資料館をがっつり堪能しました。

・広島駅〜呉駅〜てつのくじら館

その後、広島駅に戻り、JRで呉へ。

電車の中はさながら壮年たちの遠足風景。

わたしはなるさん、めぐっちと一緒に座ったけど、とにかくこの2人最高だった!わろた!!

そして、てつのくじら館へ。

もちろん、アテンドのワカが撮影スポット教えてくれるるる〜!!

ここは、海上自衛隊の掃海艇の歴史や、魚雷処理の様子、海上での生活などを知ることができます。
そして、実際の潜水艦の内部を見ることもできます。
無料だけど、いろんなことを知ることができるスポットなのです。

・ハイカラ食堂で本場の呉海自カレーを食す

てつのくじら館のあとは、ハイカラ食堂で呉海自カレー「そうりゅう」をいただきました。

これがまた、なんとも言えない盛り付けとバリエーション!
給食みたいでしょ?

鯨カツに肉じゃが。ポテトサラダにゆで卵に牛乳。
美味しゅうございましたので、当然完食。

みんなでカレーを食べるとこんな感じになります。

このメンツで食べる呉海自カレーは最高でした!!
胆嚢がないくっすんは、別メニューを堪能。

アレイからすこじまで、昔の魚雷クレーン見学とお買い物

カレーの後は、車に分乗して、アレイからすこじまへ。
ワカの会社をちらっと見学の後、くっすんの同級生の会社の立派な赤レンガ倉庫を見学しながら、アレイからすこじまを散策。
澎湃館では、冒頭の写真を撮ってもらいました。
わたしはパイナップルケーキと呉海自カレーを購入!







レアなグッズを購入するなら、ここがオススメです!!

・自由時間は呉名物クリームパイ〜海猿を探しに

ここからは、海猿の撮影があった階段見学組と、市内観光組に分かれて呉を散策しました。

わたしは観光組!!あいこちゃんと、念願のエーデルワイスへ。
ここは地元大分のローカルワイド番組で呉特集をやってた時に気になったスポット。
クリームパイが美味しそうだったんです!!

お店外観。

ショーケースに所狭しと並ぶクリームパイのみなさま。

2階の喫茶コーナーで、飲み物と堪能することができます!

注:^_^ひとり分です(笑)。

あいこちゃんと話し込みながらお茶すること数十分。

再びワカがお迎えに来てくれて、タムタムと合流、

噂のスターくっすんのご実家を周り、呉ツアーも佳境に入ります。

女子組はワカの打ち合わせにくっついておしゃれなカフェ TOMOTASUへ。





雑貨とフルーツティの充実したカフェでした。

呉のラストはタムタムの悲願、海猿を排出する海上保安大学校の看板だけでも写真撮りたい!を叶えるべく、現地へ。

学校の前ではこんな素敵な夕焼けが広がってます。

そして、タムタムの喜びツイート

この後、リアル海猿のランニング風景に悶絶するタムタム!!

大満足でしたが、ロッキー予定変更のため、慌てて東広島へ向かいます。

その合間にも、スターくっすんから催促が(笑)。

なかなか着かないわたしたちに、矢継ぎ早に送られるくっすんメール。

ロッキーの新幹線まで時間がなく、タバコを買えずに、東広島駅へ急ぎます。

・ロッキーまたね!!

せめてロッキーの乗る新幹線を見送ろうと、東広島駅へ急ぐ海猿ツアー一行ですが、どうもギリギリ間に合いそうにない。
せめて、道路からでも新幹線を見送ろうと思ってましたが、駅に着くなりくっすんがお出迎え。
なんとなんと、ロッキー夫妻は新幹線を遅らせてくれてました。
これからの旅の安全を祈って、みんなでロッキー夫妻を見送りました。

・kussunガレージと怪しい行商人

久しぶりの kussunガレージ。無事に杭祭の時に忘れた折りたたみ傘を受け取りました!!
2ヶ月ぶり!!ご無沙汰してました。
そして、そこには怪しい行商人が(笑)

実は、純ちゃんが、しなやかフェスで買い損ねたわたしのために、あきちゃんの アキセサリーを持ってきてくれてました!
しかも、欲しかったイヤリング!!
結婚式用とあわせて2個購入しました。
夏物持ってきてくれた純ちゃん、ありがとう!!!
そして、もうすぐ全国へ旅立つわたしと同い年のワーゲンバスを見学。


・広島のお好み焼きは半端なかった

広島のお好み焼きを食べながら、みんなで歓談。
あいこちゃんとワカとくっすんと。

ここで足の話もちょっとしたかな。

そのあとワカに広島駅まで送ってもらう途中、タムタムやあいこちゃんとディープな話をしながら帰ったのでありました。

人生いろいろ。

そしてあやさんちに泊めてもらうわたし。

広島大好き!!
翌日は、髪のカットとカラーのために、佐賀県は有田までみゆきちゃんを追いかけていく、相変わらずバタバタなきゅうちゃんなのでした。

何ヶ月かかっとんねん(笑)!!

45歳にして歩く楽しさを知ったという話〜きゅうちゃんが旅に出るきっかけ〜

きゅうちゃんです。

わたしは、広島のSNSを中心としたマーケティングコンサルタントであり、DJでもあるわいざんのオンラインサロンに入ってるんですが、ここがなかなか面白い。
わいざんとビジネスパートナーのぽこみち、kussunガレージオーナーでお金に詳しいくっすんの3人は、今「サロンメンバーに会いに行く旅」で、1967年型のワーゲンバスを相棒に日本全国を回っています。
先日四国〜九州編が終了しました。

もうすぐ、東に向けた本州の旅も始まります。

そこで、サロンメンバーと話す動画を配信して、メンバーのことをお互い知ってもらおうとしています。

気になる方は是非サロンメンバーに!!

そんな中、わたしの話もサロンで少し取り上げてもらったので、今日はその辺についてお話ししますね。

●サロン記事でわいざんがわたしのことを書いてくれた

これは、理由がふたつあると思っていて、ひとつ目は、受信する側のこと。
そのひとのバックボーンを知ると、発信の受け取り方が全然違ってくる、という事実。
そして、もうひとつは発信する側のこと。
だからこそ、自身をどう発信するのか、というところがとても重要ということ。

それを、サロンメンバーのみんなに伝えたかったんだと思う。
わたしも、そんな発信していなかったなあと改めて思った次第。

●僕らが旅に出る理由〜きゅうちゃん篇〜

わたしが旅に出る理由は、大きく3つ。
・ひとに会いたい
・ひとが関わるイベントを見てみたい
(特にDJわいざんはデビュー当時から応援してます(笑))
・誰かの役に立ちたい。

そのために、事あるごとに日本全国あちこちしてるわけなんですが、わたしの行動範囲が半端ないことから、興味を持ってくれるひとが増えてきました。

もともとの原動力は、好奇心。ひとへの興味です。
誰が、何を考えて何をしているのか。何をしてきたのか。
それを聴きたくて、距離や時間を厭わず動いてしまいます。これはもう、ほとんど感覚的に。


自分の参加ツアーを早退してスキマ時間を作り、行きたかったはたご小田温泉まで料理をいただきに行ってます(笑)

ただ、今みたいに全国うろうろできてるのは、人工股関節にして歩けるようになったことと、手帳をもらったことが大きい。

歩けるようになったからこそ、公共交通機関が使えるようになったわけで。
そして、手帳のおかげでバスや船の移動は半額。JRでも距離があれば乗車券は半額。
これを最大限活用して旅を続けています。

この話をした時に、その理由として生まれつきの障害(臼蓋骨形成不全による先天性股関節脱臼)の話が出てきます。

もともとは、わたしの生まれつきの障害が発端なんだけど、わたしには当たり前すぎて特別なことじゃなかった。長距離歩けないなんて、生まれた時から当たり前だったから。
だから特にわざわざひとに話すこともありませんでした。

●先天性臼蓋骨形成不全による激痛との戦い

わたしは生まれつき左側の股関節の臼蓋骨が足りない奇形であり、普通のひとが接する面が80%以上あるのに対し、わたしの場合は生まれつき接する面が10%程度のため、歩くたびに骨同士が擦れて軟骨がすり減り、骨頭が摩耗、変形して痛みが出てしまいます。

このため、子供の頃から歩いたり走ったりすると足が痛み、寝ていても足がだるい、朝起きたら足のだるさに泣く、ということが起こっていました。
3歳くらいの時に、「もうこんな足いらんから切り落として!!」と言って毎朝泣いていたのを覚えています。

普通に歩いたり走ったりはできないだろうと言われていましたが、痛みを我慢すれば歩いたり走ったりは少しはできていました。
ただ、長距離を歩くことはできないので、遠足は車だったり、欠席だったり。
熱血先生の時は、ゆっくりゆっくり歩きました。それでも、痛みに耐えて歩くのはかなり精神力のいることでした。

高校になると、1キロ以上歩くことは困難になりました。
卓球がしたくて卓球部にも入りました。
学校のトイレは全て和式で、冬は座ったら立つことが難しくなり、とうとう体育や部活はドクターストップがかかってしまいました。

●自骨での手術のタイミングを逃す

骨切り術で、自分の骨を使って手術できることを知ったわたしは、高校在学中の手術を希望しました。
うちの親が出した答えは、「大学に入ってからゆっくり休んで手術すればいい」でした。
今にして思えば体のいい引き延ばし。でも、家には手術費用すらなかったのです。
体育の評点が2にしかならないことで、大学の推薦も対象外。

結局家の事情で高卒で就職して、手術を受けることすらできないまま結婚、出産。体重が増えたり、こどもたちを抱っこすることで、ますます足に負担がかかり、痛みが酷くなる始末。

家族旅行に行っても、子どもたちを抱っこして歩いてあげることすらできず、子どもたちはひとりで歩いてくれてました。「抱っこ」とぐずることもあったけど「お母さん足が悪くて抱っこできないの。ごめんね。」って謝りながら。

●ネガティブなことばかりじゃない

そんな中、子どもが大きくなってきたことから、当時の旦那の勧めもあり、バイクの免許を取りました。
ライブにも通い始めます。
特にハマったのがバイク。走り出せば、あとはバランスと技術。走れない、歩けないわたしが、健康な人と唯一同じ土俵に上がれるものを見つけたんです。
なので、練習にも力が入るわけです。

HSR九州での女子オンリーのチームマリ講習会には必ず参加。
初参加時は13秒で急制動で大破するという苦い経験もしましたが、GPライダーの井形とも子さんに手当てしてもらい、みんなに覚えてもらえて、とても美味しいというか(笑)。

その後も鈴鹿でのスクールに通い続けて、最後は愛車CBR600Fで自走して参加するまでになりました。


鈴鹿交通教育センターでの講習風景

飯塚オートレース場での講習風景

もちろん、ツーリングもあちこちひとりで。
鈴鹿帰りには、高校の同級生が嫁に行った奈良へ電撃訪問したことも。

県内外にいろんな職業のバイク乗りの友人ができました。
鈴鹿だけではなく、伊勢神宮大歩危小歩危阿蘇、熊本、佐賀、長崎などにもツーリングで行きました。

ただ、やっぱり歩けない。

伊勢神宮では、神殿まで行くことができず、休憩所や駐車場で待機。
山登りするときも、駐車場でバイクと荷物のお守り。
飛行機や電車乗り継ぎの旅は歩けないので、ほぼ車かバイク。
みんなと観光地へ行っても、わたしはいつもお留守番。

たまにディズニーランドやUSJに行けば、車椅子を借りて、ゲストサポートパスで、家族で待ち時間を有効に使っていました。

なので、その時はそれでもよかったんです。楽しかったから。

●手術してみたら、世界が180°変わってしまった!

20年くらい前にはすでに痛みがひどく、300mすら休憩なしには歩けなくなっていました。
それでも主治医からは、とにかく60歳までは手術をせずに持ち堪えるように言われていました。

当時は、手術後の耐用年数と手術の身体への負担を考えると、人工関節の耐用年数約15年で、そのまま再手術をしないほうがいいという治療方針だったからです。

わたしも当然そのようにするべく、痛みに耐える日々を送っていましたが、300mも歩けなければどうしようもありません。

痛みに耐えかねて、結婚時代に夫に相談したこともありましたが、「お金どうするの?」とか「子どもどうするの?」と言われてしまうと踏み切れず。

夫と別れた後、ますます痛みはひどくなり、毎日痛み止めの座薬を使うけど痛くて眠れない、という状況になった時に、主治医から手術の提案がありました。
当時入試担当で、比較的休みやすい時期があったので、その時期に手術を終わらせてリハビリに励んで繁忙期前に復帰する日程で、手術を決意しました。

1ヶ月の入院と、2ヶ月のリハビリを経て、半年後には杖なしで歩けるようになりました。




リハビリ頑張った甲斐があり、歩けるんです。痛くないんです。もう、飛び上がるくらい嬉しかった!
これで、自分の足でどこまでも行けるんですから。

行けないと思っていたところまで、歩ける。
わたし、いつも呑み屋街まで車で、行ってました。
近くの人でも、車で送りますよ、と声かけてました。
「近くで歩けるから」というのは遠慮だとばかり思い込んでいました。

本当に歩けるんですね。車いらないんです。
ああ、そういう事だったのね、とようやく気づいた45歳の夏でした。

●やりたいことは思った時にやった方がいい

歩けるようになると、行動範囲が広がります。
どこでも行けちゃうからです。



倉敷の真備町のボランティア

諫早のこどもの城でボランティア


ハマりすぎてストーカー的に追っかけてるDJわいざん

そして、歩けることが楽しい。本当に。
歩けるこの足が愛おしい。

足が不自由な時は、やりたくてもできないこともありました。
でも、できるなら、その時にやっといた方が絶対いい
わたしは歩けるようになったけど、また、いつ動けなくなる日が来るかもわからない。
だから、自分の欲求には正直に応えていきたいなと思う今日この頃です。

ちなみに、人工股関節の脱臼は大事になるので、今はバイクには乗りません。
だからこそ、あの時に練習し倒しててよかったなあと思ってます。

それでは、また!