徒然草リターンズ〜これがきゅうちゃんの生きる道〜

アラフィフバツイチのわたしの好きなこと、体験したこと、考えてることなどをつらつらと。

母がしんどい〜思春期のわたし〜

●中学校のとき

年齢を重ねて自分がしっかりして来ると、親に対しての疑問だらけになります。
なぜ、自分は好きな髪型ができないのか。
好きな服を着られないのか。
禁止されているパーマをかけることを強要されます。
「だってそっちが可愛いから」
わたしが学校で注意されるからパーマは嫌だと言うと、
「天然パーマですって言えばいい」
校則よりも親の希望が優先です。

中学の期末テストで1番になりました。成績がいいときは近所中に触れ回り、わたしが学年トップであることは近所の人たちにも知れ渡っていました。

成績がいいと触れ回る癖に、成績が下がったときはダンマリを決め込むのか、わたしは近所で常に学年トップの人になっていました。
10番くらいに落ちたとき、これも近所にバレるのかなと思っていましたが、修正されることはなかったのです。
もうすでにいい成績を取って親を喜ばすという考えは無くなりました。
大人は欺瞞に満ちていると嫌気がさしました。
勉強もやめ、成績表は親に渡る前に自分で処理していました。

中学でも軽いイジメはあり、野球部に呼び出された女子を助けるために間に入ったのに、その女子たちから「怖い」と無視されることがありました。
カバンに落書きされたり、机に死ねと書かれたり。

もちろん親には相談しないのですが、精神的には辛かったので、進学率の高い市外の高校か、高専にに行きたいと希望したものの、お金がないという理由で市外に出ることは許されませんでした。

●高校のとき

高校に入っても、聖子ちゃんパーマです。
恥ずかしくてたまりませんでした。

指定のコートは高いという理由で買ってもらえず、私服のようなツイードのコートで通いました。

校門の前で脱いで、紙袋に入れてから校門をくぐる。

靴も、可愛いコンビ靴などは買ってくれますが、指定の黒靴は可愛くない、と買ってくれません。
校則違反の常習犯です。
靴下は白を買わないので、先輩からも目をつけられました。
洋服はダサい派手なもの。母の好みのものばかり。

わたしもぶーけで友達みたいな可愛い服が買いたい。

反発して、自分で裁縫バサミで髪を切ったりもしました。

文系理系の選択は、将来の夢を考えて理系に。
親には全く相談せず、ひとりで決めました。

進路選択の時期になり、この家から出るため、自己満足のために、いい大学に入って一刻も早く外へ出るための勉強をすることにしました。

高校でよかったのは、本当に信頼できる友達に出会ったこと。数少ない女友達も、いっぱいできた男友達も、本当にいい人ばかりで、学校はめっちゃ楽しかった。
やんちゃな友達もいて、帰りにしょっちゅうパソコンショップの友達のところにパソコンを触らせてもらいに通ってた。パソコンでいろいろできるのが楽しかった。
高校は3年間、体育祭のパネル絵を担当しました。1年の時はキャプテンハーロック、2年の時は・・・何描いたっけ?3年の時は幻魔大戦
奨学金でパソコン買った。プログラムを打ち込んでゲームで遊んだり、自作の学習プログラムで英語の勉強してた。

●家に帰れない

家が本当に嫌でたまらず、毎日のように友達のうちでご飯をもらって食べて帰っていました。
出来るだけ母に会わないように。
友達のお母さんは、多くは聞かず笑ってご飯のおかわりを促してくれるようなひとだったので、とても救われました。
高校最後のバレンタインにチョコが食べれない当時のわたしの片思いの相手のために、チーズケーキを練習させてくれました。
当日失敗して、落ち込んで泣くわたしのために、サンドイッチを作って、これを彼に渡しなさいと渡してくれました。
大きな箱入りのサンドイッチ。高校最後の思い出に(卒業直前)バレンタインデーに渡しました。(それだけで終わった)
自分のお母さんのように慕っていました。
生徒会の役員や実行委員は進んで受けました。帰りが遅くなっても大義名分があるから。
仲間と、遅くまで残って作り上げる楽しさはこの時に知りました。
ただ、親は面白くなかったのか、当時大好きだった人が送ってくれたときも家の前で仁王立ちで、送ってくれたお礼さえ言ってはくれませんでした。

●大学を諦めるなんて

大学に行くために、奨学金ももらえるように自分で手続きしました。

理系の大学を目指すわたしに、「何故文系に行かなかったのか。教師になるんじゃないのか。」と両親。
進路ひとつでも大げんかでした。
わたしは本当は医学部に行きたかったんです。
だけど、六年も大学に行かせてもらえないし、実力も足りなかった。
だから、好きなパソコンが活かせる工学部を目指していたんだけど、それも大反対でした。

私立大を受ける代わりに滑り止めで受けた公務員試験に受かったわたしに、親はこう言いました。

「弟はわたしよりも頭が悪い。だけど長男だ。彼は大学を出してやらんといかん。お前は女だ。学は必要ない。公務員に受かったのだから、進学は諦めて弟に譲ってほしい」

わたしは最後の希望も捨てることになりました。

なぜなら、父が倒れて収入が母のパートのみになったにもかかわらず、弟はまだ高校生だったからです。

当時のわたしには、選択肢はありませんでした。
からしたら、できたことはたくさんあると思いますが、当時の甘えきったお子ちゃまなわたしには無理だった。
だから、結果的には行っていない。
高卒。それもわたしの選択だったと今は思います。

当時は自分より成績が下の人たちが大学へ進学することで、屈辱的な気持ちになっていました。
どんなに成績がよくてもわたしは高卒なんだって。
とんでもない思い上がった嫌な奴でした。
素行を悪くしようと思えばできるのに自分が損するだけなので表向きはいい子を装ってるところなんて最悪でした。