45歳にして歩く楽しさを知ったという話〜きゅうちゃんが旅に出るきっかけ〜
きゅうちゃんです。
わたしは、広島のSNSを中心としたマーケティングコンサルタントであり、DJでもあるわいざんのオンラインサロンに入ってるんですが、ここがなかなか面白い。
わいざんとビジネスパートナーのぽこみち、kussunガレージオーナーでお金に詳しいくっすんの3人は、今「サロンメンバーに会いに行く旅」で、1967年型のワーゲンバスを相棒に日本全国を回っています。
先日四国〜九州編が終了しました。
もうすぐ、東に向けた本州の旅も始まります。
#kussun日本一周 の旅!無事に広島に戻ってきました!疲れたーーー!!!くっすん超時間運転お疲れ様。次は16日から関西より東…たくさんのサロンメンバーに会いにいきます。一刻も早くサロンへの入会をオススメします!会えば伝わる価値が必ずある!#わいざんどうでしょう pic.twitter.com/cM9nvmRLCw
— わいざん|日本一周なう(次は16日から) (@yzan_travel) 2018年11月9日
そこで、サロンメンバーと話す動画を配信して、メンバーのことをお互い知ってもらおうとしています。
気になる方は是非サロンメンバーに!!
そんな中、わたしの話もサロンで少し取り上げてもらったので、今日はその辺についてお話ししますね。
●サロン記事でわいざんがわたしのことを書いてくれた
これは、理由がふたつあると思っていて、ひとつ目は、受信する側のこと。
そのひとのバックボーンを知ると、発信の受け取り方が全然違ってくる、という事実。
そして、もうひとつは発信する側のこと。
だからこそ、自身をどう発信するのか、というところがとても重要ということ。
それを、サロンメンバーのみんなに伝えたかったんだと思う。
わたしも、そんな発信していなかったなあと改めて思った次第。
●僕らが旅に出る理由〜きゅうちゃん篇〜
わたしが旅に出る理由は、大きく3つ。
・ひとに会いたい
・ひとが関わるイベントを見てみたい
(特にDJわいざんはデビュー当時から応援してます(笑))
・誰かの役に立ちたい。
そのために、事あるごとに日本全国あちこちしてるわけなんですが、わたしの行動範囲が半端ないことから、興味を持ってくれるひとが増えてきました。
もともとの原動力は、好奇心。ひとへの興味です。
誰が、何を考えて何をしているのか。何をしてきたのか。
それを聴きたくて、距離や時間を厭わず動いてしまいます。これはもう、ほとんど感覚的に。
#はたご小田温泉 に無事到着!!
— きゅうちゃん≡📪12/28のメカラウロコ29チケ探してます (@ebicha0117) 2018年9月16日
時間の隙間を使って念願のお料理をいただいてます!!
おかみさん@odaonsen 旦那さん@kumataro_onsen 料理長@wakuwakuri めっちゃ美味しいです!!!舌福❤️
できるだけうまく伝えられるようにしかと食します。#きゅうちゃんの幸せ#今度は泊まりに来るぞ pic.twitter.com/oEF0qQcKXo
自分の参加ツアーを早退してスキマ時間を作り、行きたかったはたご小田温泉まで料理をいただきに行ってます(笑)
ただ、今みたいに全国うろうろできてるのは、人工股関節にして歩けるようになったことと、手帳をもらったことが大きい。
歩けるようになったからこそ、公共交通機関が使えるようになったわけで。
そして、手帳のおかげでバスや船の移動は半額。JRでも距離があれば乗車券は半額。
これを最大限活用して旅を続けています。
この話をした時に、その理由として生まれつきの障害(臼蓋骨形成不全による先天性股関節脱臼)の話が出てきます。
もともとは、わたしの生まれつきの障害が発端なんだけど、わたしには当たり前すぎて特別なことじゃなかった。長距離歩けないなんて、生まれた時から当たり前だったから。
だから特にわざわざひとに話すこともありませんでした。
●先天性臼蓋骨形成不全による激痛との戦い
わたしは生まれつき左側の股関節の臼蓋骨が足りない奇形であり、普通のひとが接する面が80%以上あるのに対し、わたしの場合は生まれつき接する面が10%程度のため、歩くたびに骨同士が擦れて軟骨がすり減り、骨頭が摩耗、変形して痛みが出てしまいます。
このため、子供の頃から歩いたり走ったりすると足が痛み、寝ていても足がだるい、朝起きたら足のだるさに泣く、ということが起こっていました。
3歳くらいの時に、「もうこんな足いらんから切り落として!!」と言って毎朝泣いていたのを覚えています。
普通に歩いたり走ったりはできないだろうと言われていましたが、痛みを我慢すれば歩いたり走ったりは少しはできていました。
ただ、長距離を歩くことはできないので、遠足は車だったり、欠席だったり。
熱血先生の時は、ゆっくりゆっくり歩きました。それでも、痛みに耐えて歩くのはかなり精神力のいることでした。
高校になると、1キロ以上歩くことは困難になりました。
卓球がしたくて卓球部にも入りました。
学校のトイレは全て和式で、冬は座ったら立つことが難しくなり、とうとう体育や部活はドクターストップがかかってしまいました。
●自骨での手術のタイミングを逃す
骨切り術で、自分の骨を使って手術できることを知ったわたしは、高校在学中の手術を希望しました。
うちの親が出した答えは、「大学に入ってからゆっくり休んで手術すればいい」でした。
今にして思えば体のいい引き延ばし。でも、家には手術費用すらなかったのです。
体育の評点が2にしかならないことで、大学の推薦も対象外。
結局家の事情で高卒で就職して、手術を受けることすらできないまま結婚、出産。体重が増えたり、こどもたちを抱っこすることで、ますます足に負担がかかり、痛みが酷くなる始末。
家族旅行に行っても、子どもたちを抱っこして歩いてあげることすらできず、子どもたちはひとりで歩いてくれてました。「抱っこ」とぐずることもあったけど「お母さん足が悪くて抱っこできないの。ごめんね。」って謝りながら。
●ネガティブなことばかりじゃない
そんな中、子どもが大きくなってきたことから、当時の旦那の勧めもあり、バイクの免許を取りました。
ライブにも通い始めます。
特にハマったのがバイク。走り出せば、あとはバランスと技術。走れない、歩けないわたしが、健康な人と唯一同じ土俵に上がれるものを見つけたんです。
なので、練習にも力が入るわけです。
HSR九州での女子オンリーのチームマリ講習会には必ず参加。
初参加時は13秒で急制動で大破するという苦い経験もしましたが、GPライダーの井形とも子さんに手当てしてもらい、みんなに覚えてもらえて、とても美味しいというか(笑)。
その後も鈴鹿でのスクールに通い続けて、最後は愛車CBR600Fで自走して参加するまでになりました。
鈴鹿交通教育センターでの講習風景
飯塚オートレース場での講習風景
もちろん、ツーリングもあちこちひとりで。
鈴鹿帰りには、高校の同級生が嫁に行った奈良へ電撃訪問したことも。
県内外にいろんな職業のバイク乗りの友人ができました。
鈴鹿だけではなく、伊勢神宮や大歩危小歩危、阿蘇、熊本、佐賀、長崎などにもツーリングで行きました。
ただ、やっぱり歩けない。
伊勢神宮では、神殿まで行くことができず、休憩所や駐車場で待機。
山登りするときも、駐車場でバイクと荷物のお守り。
飛行機や電車乗り継ぎの旅は歩けないので、ほぼ車かバイク。
みんなと観光地へ行っても、わたしはいつもお留守番。
たまにディズニーランドやUSJに行けば、車椅子を借りて、ゲストサポートパスで、家族で待ち時間を有効に使っていました。
なので、その時はそれでもよかったんです。楽しかったから。
●手術してみたら、世界が180°変わってしまった!
20年くらい前にはすでに痛みがひどく、300mすら休憩なしには歩けなくなっていました。
それでも主治医からは、とにかく60歳までは手術をせずに持ち堪えるように言われていました。
当時は、手術後の耐用年数と手術の身体への負担を考えると、人工関節の耐用年数約15年で、そのまま再手術をしないほうがいいという治療方針だったからです。
わたしも当然そのようにするべく、痛みに耐える日々を送っていましたが、300mも歩けなければどうしようもありません。
痛みに耐えかねて、結婚時代に夫に相談したこともありましたが、「お金どうするの?」とか「子どもどうするの?」と言われてしまうと踏み切れず。
夫と別れた後、ますます痛みはひどくなり、毎日痛み止めの座薬を使うけど痛くて眠れない、という状況になった時に、主治医から手術の提案がありました。
当時入試担当で、比較的休みやすい時期があったので、その時期に手術を終わらせてリハビリに励んで繁忙期前に復帰する日程で、手術を決意しました。
1ヶ月の入院と、2ヶ月のリハビリを経て、半年後には杖なしで歩けるようになりました。
リハビリ頑張った甲斐があり、歩けるんです。痛くないんです。もう、飛び上がるくらい嬉しかった!
これで、自分の足でどこまでも行けるんですから。
行けないと思っていたところまで、歩ける。
わたし、いつも呑み屋街まで車で、行ってました。
近くの人でも、車で送りますよ、と声かけてました。
「近くで歩けるから」というのは遠慮だとばかり思い込んでいました。
本当に歩けるんですね。車いらないんです。
ああ、そういう事だったのね、とようやく気づいた45歳の夏でした。
●やりたいことは思った時にやった方がいい
歩けるようになると、行動範囲が広がります。
どこでも行けちゃうからです。
倉敷の真備町のボランティア
諫早のこどもの城でボランティア
ハマりすぎてストーカー的に追っかけてるDJわいざん
そして、歩けることが楽しい。本当に。
歩けるこの足が愛おしい。
足が不自由な時は、やりたくてもできないこともありました。
でも、できるなら、その時にやっといた方が絶対いい。
わたしは歩けるようになったけど、また、いつ動けなくなる日が来るかもわからない。
だから、自分の欲求には正直に応えていきたいなと思う今日この頃です。
ちなみに、人工股関節の脱臼は大事になるので、今はバイクには乗りません。
だからこそ、あの時に練習し倒しててよかったなあと思ってます。
それでは、また!