徒然草リターンズ〜これがきゅうちゃんの生きる道〜

アラフィフバツイチのわたしの好きなこと、体験したこと、考えてることなどをつらつらと。

失われた10年のはなし

きゅうちゃんです。

自分の子育てについて思い出すとき、わたしはいつもこのことが頭に浮かんで、胸が締め付けられます。

わたしが娘たちにしてあげられなかったこと。
全力で関わってあげること。

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過去のわたしは思い込みで満ち満ちていました。
広い視野を持てなかった。それは特性でもありますが、窮屈な人間でした。

●亭主関白がベストな家庭であるという幻想

自分の育った家庭は、母が父をバカにしていた。
それは、父がギャンブル狂いで 母に迷惑をかけていたので、母からすれば当然だったろう。
でも、わたしは父を尊敬したかった。尊敬できる人であってほしかった。
元夫は、立派で家庭を大切にする人だった。
元夫を立てて、大切に敬う家庭にしたかった。

●立て方を間違えてしまった

元夫を家の一番にするために、わたしは彼を大切に扱い、傅いた。当然娘たちもわたしの背中を見て従ってくれると思っていた。
でも、わたしは元夫をよく見ていなかった。

元夫は、自分の都合のいい家庭を大切にするひとだった。
自分の思い通りにならない時は、全否定する。
攻撃する。叩きのめす。
わたしもそうだったが、理不尽なときも多かった。
自我の芽生えた娘たちは、次第に反抗するようになり、その度に娘たちへの存在否定の言葉が繰り返される。
ただ、わたしは耐えた。夫の暴言も、娘を思うが故。
わたしが夫を否定すれば、わたしの実家と同じになってしまうのではという恐怖の方が強かった。

実家に帰る選択はなかった。夫にすがりつくしかない。わたしが夫に反抗すれば、わたしにようやくできた居場所を失ってしまうことが何よりも怖かったのだ。

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●お母さんに何言っても無駄だよ。お母さんには自分がないから。

自分の思い通りにならない時の娘たちへの暴言については、その場で謝罪を求めるべきだった。
なのに、できなかった。
わたしは怖かったのだ。

そんなわたしを娘たちが見逃すはずもなかった。

わたしは2人の会話を聞いてしまった。

「(お父さんのことについて)お母さんに話してみようよ。」
「ダメだよ。お母さんに言っても無駄だよ。お母さんはお父さんの言いなりで、自分がないから。」

「わたしたちなんか、いなくなっても何も変わらんよ。誰も悲しまんよ。」

はっ、とした。
あんなに自分でいたくて、居場所を求めていたはずなのに、わたしは自分を失い、娘たちからの信用も失っていた。

このままでは、子どもたちが死を選んでもおかしくない状況になってしまう。

もう、躊躇することはない。
わたしが選ぶべくは、子どもたちだ。そう決めた。

●わたしは、いまの自分を殺すことにした

今の弱い自分だと、子どもたちを守ることはできない。
そう思ったわたしは、強くなることを決心しました。
子どもが命を失うと思えば、夫に意見することくらいたいしたことではない。

震えながらも言い返す日々。
子どもを傷つける発言をしたら、「ちゃんと謝って」と言う。
犯人探しが始まったら、「そんなこと言ったら恐ろし
くて誰も本当のことは言えない」と言う。
当たり前のことができてない日々には自分から終止符を打たねば。

わたしは、弱い自分を殺して生まれ変わろうとした。
それは、毎日泣きたいことの繰り返しでもあった。

このころのわたしの日々の状況はこちら。
ebicha0117.hatenablog.com



●PTA役員がそんなに偉いんか!

当時、前夫に意見を言い始めた頃、彼に言われた言葉。
当時、わたしはPTA役員をしてた。
わたしの つらい時期を支えてくれたのはバイク仲間とつげママ。
特に、つげママは一緒に役員をしてて、夜中でも話を聞いてくれた。
一回死んで生まれ変わる、というのも彼女が教えてくれた。
で、「お前たちなんて、生まれてこなければよかったのに」といった子どもを傷つける発言のあと、
「それはひどい言葉だからちゃんと子どもたちに謝って!」といったわたしに吐き捨てられた言葉。
わたしは、親としてこの子らを守らないといけない。
腹が座った。

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このくらいできてればよかったのかも・・・。

●わたしは、あなたたちがいてくれるだけで嬉しい

とにかく、この言葉を伝え続けた。毎日、毎日。
娘たちが、学校でいじめられた話を打ち明けてくれるようになった。
どうしてくれようか。
わたしなりの復讐を考える。夜道で待ち伏せして殴ってやろうか。
雑巾のしぼり汁を頭からかけて同じ目に合わせてやろうか。
そんな話を娘たちにすると、娘たちはびっくり。
「いや、そこまでしなくてもいいよ。」
「だって大事な娘たちをひどい目に遭わせたら100倍返さんと気が済まん。」
母にはそのくらいの覚悟があるよ、ということは十分伝わり、
いろんな相談をしてくれるようになった。
「母は、絶対に私たちを見捨てない。助けてくれる。」
ずっと失っていた娘たちからの信頼を、失った10年を少しだけ取り戻せた、そう実感した時期だった。

10年間、つらい思いをさせてごめんね。
今頃になって遅いかもだけど、母はあなたたちを心から愛してる。

それから20年、仲良し母娘です。
あの時頑張って本当によかった。

生きて30歳を迎えてくれた娘たち、ありがとう。