2/22オリエンタルラジオ中田敦彦講演会in福岡
来週の木曜日に福岡で行われるあっちゃんの講演会。
実は、主催者の告知が追いついてないんです〜!!!!
せっかくあっちゃん来るのに。
みんなに聴いてほしいのに。
熱い想いで主催を決めた福岡のそうしくん(@HiratA___)に会いに行ってきました。
そうしくんって?
「ひらたそうし」といいます。
大分の玖珠出身。
背が高いけど、雰囲気がふわっとしていて、威圧感を与えることがない。
風のようなひと。
彼は、作業療法士の傍ら、鉛筆アーティストとしてもその才能を発揮しています。
そうしくんの作品
これは、今そうしくんが希望者に作ってくれてるバナーです。
これが展示されてるレターポット。
こんなのだったり
こういうのだったり。
だったり。
ね?気になりませんか?
彼は、裸眼で掘っているというから驚き!!
単純なものなら、30分くらいで作っちゃうそうです。それもビックリ!!!!(´⊙ω⊙`)
ワークショップなんかもできるそうです。
こんなそうしくんが、今回の講演会をするわけ。
彼の想いはブログを読んでほしいな。
https://lineblog.me/sohshi_hirata/archives/897776.html
真剣にブログを考えるそうしくん。
そうしくんは作業療法士。
医療の世界にこそエンタメをという思いがある。
わたしも長く入院生活送っていたし、息子も紫斑病で長く入院していたので、本人や家族が闘病生活、リハビリを楽しく穏やかに過ごせるのではという部分でその考えにはとても共感する。
わたしの想い
あっちゃんが人気がないからチケットが売れてないわけではなくて、今回は主催のそうしくんが忙し過ぎて告知ができてなかったからこそ招いたピンチ。
でも、手伝ってみてわかったけど、オリエンタルラジオ自体知らない人もそれなりにいるし、あっちゃんをただのお笑い芸人としか認識してなくて、「講演会?何、それ?」とか、「オリラジ興味ないです」みたいな反応が返ってくるのも事実。
それでも、「興味はあるけど行けなくて残念」と言ってくれる方はもっといるし、わたし自身あっちゃんのトークや本で、この人は本当に人の背中を押す天才だと信じているので、興味なくても知らなくても嫌いでも聴いてほしいと思ってる。
併せて読んでください
主催者のそうしくんの想い
https://lineblog.me/sohshi_hirata/archives/897776.html
広島のわいざんの名古屋講演会の記事
http://yzan.jp/archives/4347
チケットはこちらから買えます!!
http://sohshihirata.thebase.in/
母がしんどい〜思春期のわたし〜
●中学校のとき
年齢を重ねて自分がしっかりして来ると、親に対しての疑問だらけになります。
なぜ、自分は好きな髪型ができないのか。
好きな服を着られないのか。
禁止されているパーマをかけることを強要されます。
「だってそっちが可愛いから」
わたしが学校で注意されるからパーマは嫌だと言うと、
「天然パーマですって言えばいい」
校則よりも親の希望が優先です。
中学の期末テストで1番になりました。成績がいいときは近所中に触れ回り、わたしが学年トップであることは近所の人たちにも知れ渡っていました。
成績がいいと触れ回る癖に、成績が下がったときはダンマリを決め込むのか、わたしは近所で常に学年トップの人になっていました。
10番くらいに落ちたとき、これも近所にバレるのかなと思っていましたが、修正されることはなかったのです。
もうすでにいい成績を取って親を喜ばすという考えは無くなりました。
大人は欺瞞に満ちていると嫌気がさしました。
勉強もやめ、成績表は親に渡る前に自分で処理していました。
中学でも軽いイジメはあり、野球部に呼び出された女子を助けるために間に入ったのに、その女子たちから「怖い」と無視されることがありました。
カバンに落書きされたり、机に死ねと書かれたり。
もちろん親には相談しないのですが、精神的には辛かったので、進学率の高い市外の高校か、高専にに行きたいと希望したものの、お金がないという理由で市外に出ることは許されませんでした。
●高校のとき
高校に入っても、聖子ちゃんパーマです。
恥ずかしくてたまりませんでした。
指定のコートは高いという理由で買ってもらえず、私服のようなツイードのコートで通いました。
校門の前で脱いで、紙袋に入れてから校門をくぐる。
靴も、可愛いコンビ靴などは買ってくれますが、指定の黒靴は可愛くない、と買ってくれません。
校則違反の常習犯です。
靴下は白を買わないので、先輩からも目をつけられました。
洋服はダサい派手なもの。母の好みのものばかり。
わたしもぶーけで友達みたいな可愛い服が買いたい。
反発して、自分で裁縫バサミで髪を切ったりもしました。
文系理系の選択は、将来の夢を考えて理系に。
親には全く相談せず、ひとりで決めました。
進路選択の時期になり、この家から出るため、自己満足のために、いい大学に入って一刻も早く外へ出るための勉強をすることにしました。
高校でよかったのは、本当に信頼できる友達に出会ったこと。数少ない女友達も、いっぱいできた男友達も、本当にいい人ばかりで、学校はめっちゃ楽しかった。
やんちゃな友達もいて、帰りにしょっちゅうパソコンショップの友達のところにパソコンを触らせてもらいに通ってた。パソコンでいろいろできるのが楽しかった。
高校は3年間、体育祭のパネル絵を担当しました。1年の時はキャプテンハーロック、2年の時は・・・何描いたっけ?3年の時は幻魔大戦。
奨学金でパソコン買った。プログラムを打ち込んでゲームで遊んだり、自作の学習プログラムで英語の勉強してた。
●家に帰れない
家が本当に嫌でたまらず、毎日のように友達のうちでご飯をもらって食べて帰っていました。
出来るだけ母に会わないように。
友達のお母さんは、多くは聞かず笑ってご飯のおかわりを促してくれるようなひとだったので、とても救われました。
高校最後のバレンタインにチョコが食べれない当時のわたしの片思いの相手のために、チーズケーキを練習させてくれました。
当日失敗して、落ち込んで泣くわたしのために、サンドイッチを作って、これを彼に渡しなさいと渡してくれました。
大きな箱入りのサンドイッチ。高校最後の思い出に(卒業直前)バレンタインデーに渡しました。(それだけで終わった)
自分のお母さんのように慕っていました。
生徒会の役員や実行委員は進んで受けました。帰りが遅くなっても大義名分があるから。
仲間と、遅くまで残って作り上げる楽しさはこの時に知りました。
ただ、親は面白くなかったのか、当時大好きだった人が送ってくれたときも家の前で仁王立ちで、送ってくれたお礼さえ言ってはくれませんでした。
●大学を諦めるなんて
大学に行くために、奨学金ももらえるように自分で手続きしました。
理系の大学を目指すわたしに、「何故文系に行かなかったのか。教師になるんじゃないのか。」と両親。
進路ひとつでも大げんかでした。
わたしは本当は医学部に行きたかったんです。
だけど、六年も大学に行かせてもらえないし、実力も足りなかった。
だから、好きなパソコンが活かせる工学部を目指していたんだけど、それも大反対でした。
私立大を受ける代わりに滑り止めで受けた公務員試験に受かったわたしに、親はこう言いました。
「弟はわたしよりも頭が悪い。だけど長男だ。彼は大学を出してやらんといかん。お前は女だ。学は必要ない。公務員に受かったのだから、進学は諦めて弟に譲ってほしい」
わたしは最後の希望も捨てることになりました。
なぜなら、父が倒れて収入が母のパートのみになったにもかかわらず、弟はまだ高校生だったからです。
当時のわたしには、選択肢はありませんでした。
今からしたら、できたことはたくさんあると思いますが、当時の甘えきったお子ちゃまなわたしには無理だった。
だから、結果的には行っていない。
高卒。それもわたしの選択だったと今は思います。
当時は自分より成績が下の人たちが大学へ進学することで、屈辱的な気持ちになっていました。
どんなに成績がよくてもわたしは高卒なんだって。
とんでもない思い上がった嫌な奴でした。
素行を悪くしようと思えばできるのに自分が損するだけなので表向きはいい子を装ってるところなんて最悪でした。
母がしんどい 〜幼い頃のわたし〜
うちの母は愛情深いひとです。
子どもたちを本当に愛していました。
そう。自分勝手に。
●母というひと
母は完璧に何から何までこなすひとてした。
わたしは貧しい家だったにもかかわらず何不自由なく暮らせていたと思います。
そこは本当に感謝しています。
ただ、自分の思い通りにならないと気がすまない母に対して、わたしいつも応えられるいい子であろうとしました。
母のいうとおりにしておけば、幸せでした。
ただ、うちは友達を家に連れて来ることは許されませんでした。
完璧な母は、自分が仕事で不在のために散らかっている家を他人に見られるのを極端に嫌いました。
わたしが本棚の漫画を読むことも気に入りませんでした。
棚の配置が少しでもずれると機嫌の悪いのがわかりました。
髪型や服装も、もっと違うものが好きだったのに、自分の好きな格好をすることは許されませんでした。
「お母さんのいうとおりにしていれば全部大丈夫」
重たい呪文でした。
●家族のこと
わたしは親が喜ぶように勉強をしていい成績を取り、親の機嫌取りと自己満足をしているような子どもでした。
それでも長男の弟は大事にされ、わがまま放題。聞き分けのいいわたしはいつも後回し。
父の勤めていた会社が倒産し、家はさらに貧乏になりました。そのくせ、パチンコに依存しており、サラ金から借金をしたり、預かっていた人のお金を使い込んだり。
母は返済のために夜の仕事も始めて、家に居なくなりました。
毎月のように住宅金融公庫から、住宅ローンの督促の電話がかかって来るのですが、親がいるときも、電話に出るのはいつもわたし。
母親からは、「親は留守と言え」と言われており、そこにいるのに嘘をつかなければならない。
とても嫌な仕事でした。わたしの電話嫌いは、こういうことがあったからなのかもしれません。
父と母の喧嘩も増え、母は時々家出をするようになりました。
弟だけを連れて。
荒れて酔った父の介抱はわたしひとり。
母は、わたしのことは可愛くないのかな、と思う反面、父が可哀想で、残るのは仕方ないと思っていました。
父は、愛情深く、お嬢、お嬢とわたしを呼び、いろんな本を与えてくれた。
本のおかげで、人と関われないわたしの世界は広がりました。百科事典をくれたことで、いろんなことに興味を持ちました。
ただ、すぐカッとして暴力をふるうことがありました。
●その頃のわたし
成績は良くてもコミュ障だったわたしは、学校では数年間にわたりいじめを受け、親に素直に話すと学校長に文句を言いに行かれて、さらに陰でいじめられるというループに入っていました。
このとき、もう親はあてにできないのだ、自分で解決するしかないのだ、ということを思い知りました。
あんなに親の言うことを聞いてきたのに、本当の意味で地獄からは救い出してはもらえないどころか、さらに深みへ突き落とされるなんて。
何度か自殺も考えました。この世からいなくなりたかった。
でも、いなくなっても親以外、誰も悲しまない。
それが悔しいから生きてやろうと思った。
それ以来、誰にも付かず、グループにも属さず、一匹狼なポジションを好んで取るようになりました。
親にも表面は合わせるけど、心では信頼関係はもはやなくなっていました。
かといって反発もしない。ずるい子どもだったのです。
それでもどこかで、親のことは嫌いになれない、たぶんまだ、それでも好きだったんだと思います。
思春期のわたしへ続く。
古屋兎丸先生生誕祭でのこと。
日曜日の阿佐ヶ谷の「古屋兎丸生誕祭」にラッキーにも急遽参加できるようになったのは前回ブログに書いたわけですが。
やってきました阿佐ヶ谷ロフトA。
会場に入る前に個展のポスター。
また来ないと行けなくなりました。ヴァニラ画廊。
会場に入ると、サイン本を一冊ずつ手渡しされる。
これはプレゼントらしい。
わたしは「ライチ光クラブ」。
これは欲しかったやつなので、嬉しいサプライズ。
ステージにTシャツが8枚飾られてて、このTシャツは、質問を読まれた方にプレゼントとのこと。
いつもは書かない質問を、せっせと書く。
聞きたいこと、プラスチガールの原画観て異素材の組み合わせに驚いたこと、乗られてるバイク(トライアンフ)の話、あと、なんだっけ。
音楽のことも、わたしと同年代とは思えない若さの秘訣も聞いてみたい。
聞きたいことありすぎていっぱい書いたけど、まさか読まれるはずはないと思ってました。
Tシャツも、HAKUEIさん達とのコラボの漫画兄弟のもの、氣志團のグッズTシャツ、女子高生に殺されたいのグッズ、ライチ光クラブのグッズ等々レアなものばかり。
わたしはライチか漫画兄弟だなあと漠然と思っていた。
なんと、飲み物だけでなくご飯も食べられるとのことで、早速メニューを。
先生と考案とのこと。πカレーは想像できたので、まずはライチカレーとソーダを。
これ、ガチでライチでした。ちょっとえぐみのあるライチ2粒。
複数頼むと旗もらえるんです。
思わず頼むよね。
抽選券ももらえました。確率UP!!
結局お腹足らずにもう2品。
πカレー。
タイカレーともかけてあり、グリーンカレーで美味しかった❤️
今回の旗はノーマルロゴ。
で、質問コーナーなんですが、な、な、なんと一番に読まれてしまいました!!
8枚のTシャツから選べるのです!!
こんなことがあるのかと震えましたが、一番聴きたかったバイクの話から入ってくださったのに、もう感激ともろもろでボーゼンとして、トライアンフとノートンのバイクメ〜〜ンからの話しか入って来なかった!!ノートンもお持ちなのですね。
Tシャツは悩んだ挙句、漫画兄弟のキャラものを。
なっとうざむらいでもなく、クマのキャラクター。
もう、かなりの運を使ったかもしれない。
かなり書きすぎたので、古屋先生の話はまた書きます。
わたしが兎丸先生を知ったのは、二方向からの偶然でした。
夢みたいなホントの話
きゅうちゃんです。
先週末は東京でした。
目的は、お友達のキヨシさんの生誕前夜祭に参加するため!
そして、同日開催の漫画家、古屋兎丸先生の生誕祭も参加したかったわけです。
しかも場所が両方とも阿佐ヶ谷!!
何としてもチケット欲しかったわけです。
欲しかったわけですが、販売開始後10分くらいで即完売。
キャンセルで追加出るかもと聞いてましたがそれも無し。
もう、藁をも掴む思いでツイートしてみました。
その後もずっとリプ無し、反応無し。
もう、これは諦めるしかないと諦めて、翌日はアキバに行く娘に同行して一緒にご飯食べよう。
そう思って、先日13日の夜、友達のかめちゃんと美味しいご飯を頂いてたその時!
神様降臨!!
もうね、此れで心臓バクバクだし、かめちゃんとの会話テンションめちゃ上がるし、リプのやりとり気になるし。
気が気じゃない3時間!!
何とかネットバンクからの振込みに成功し、無事チケットを手に入れることができました。
ひとつ言えることは
諦めたらそこで試合終了ですよ
諦めなかったから、参加できました❤️
ちる❤️🖤(@13g53)神さまには、感謝しかありません。
この大きなSNSの海原から、田舎から上京していたわたしを見つけてくれてありがとう。
夜遅くのやりとりにもかかわらず、キチンと対応いただきました。ほんまに感謝しかない!!
そして、当日!!さらなる奇跡が!!
これは、またの機会に書きますね。
きゅうちゃんについての二、三の事柄
ここでは、わたくし、きゅうちゃんのことについてざっくりとご紹介します。
●属性
1967年早生まれのバツイチ♀、こじらせ気味の未年山羊座AB型。です。
結婚生活では三人の子どもに恵まれて、子どもは宝です。すでに全員独立しました。
2017年に初孫にも恵まれ、おばあちゃんになりました。
自身の親は支配欲が強くねっとりと絡め取られる感があって耐えられないため、思春期以降は受け付けられず、ずっと距離の取り方に悩んできました。
子どもが生まれると、子守の大義名分で家の中のことや子育てにどんどん介入して、毎日うちに来ていました。
今は施設に入ってもらって適度に距離を置いていますが、いわゆる「母が重たい」というやつで、会うたびに精神的にはかなり痛んでしまいます。
●結婚
高校までは男友達の中で男同士の友情を育んで来たため、恋愛経験は皆無。
18歳で生まれて初めて元夫と付き合うことになり、母や実家から逃れたい一心でそのまま21歳でデキ婚。
結婚生活自体は、わたしが透明な頃は気づかなかったけど、夫にはモラハラ傾向があり、自分自身や子どもたちを守るために闘う必要が出てきました。
日々痛めつけられるうちにモラハラ対決みたいな泥沼に。
耐えきれず22年目に家出、24年目に離婚成立。
以来、誰とも付き合うことなくおひとりさままっしぐらです。
●仕事
某自治体に勤めて32年。真面目に勤めるも、仕事のこと、親のこと、家族のことがいろいろ一度に重なって心のバランスを崩し、現在はうつ病でお休み中。
一般の事務職ですが、技術的、専門的なことをやってる時期の方が長いかなあとは思います。
納得いくまでやりたい性格柄、やりすぎて揉めることはよくあったかな。
●好きなもの
音楽と漫画と映画をこよなく愛しております。
音楽はライブに行くのがいちばんの楽しみです。
THE YELLOW MONKEYが大好き、吉井和哉が死ぬほど好き。
あとはBUCK-TICK、椎名林檎、9mm 、マキシマムザホルモン、RIP SLYME、Sugar Soul、pizzicato five、ゆらゆら帝国、RCサクセションなんか好き。
DJダイノジなどのDJイベントも好き。
漫画は作家でいうと水城せとな、今市子、羽海野チカ、古屋兎丸、江口寿史、東村アキコ、花田陵、大友克洋、山田章博、清水玲子、西炯子、等々の方々の作品を読んでます。ハチミツとクローバーの全員片想いな感じが大好きなのと、意外と少女漫画やTL漫画でキュンキュンしたり、BL時々読んだりしてます。
基本、美麗であるとか、可愛いとか、奥深いとかそういう理由でハマります。
映画は基本的には小劇場系のモノが好き。
最近字幕を読むのが疲れるので邦画を観ることが増えています。
後味スッキリではなく悶々と考えてしまう作品に惹かれる傾向あり。
●好きなこと
日本全国の大好きな人たちに会いに行って、お話を伺ったり、自分にできる何かをお手伝いすることがライフワークになりつつあります。
例えば徳島の神山町だったり。
大阪の西成だったり。
ちなみに、きゅうちゃんの由来は「救急車」です。
この辺の話もまた、できたらいいかな。
それでは、これからもマイペースですが、よろしくお付き合いください。
はじめまして、きゅうちゃんです
わたしに興味を持ってこのブログを見てくれてありがとうございます。
きゅうちゃんです。
今から10数年前に、ブログ的なものはやっていたのですが、心機一転、新しい場所で再開してみることにしました。
以前のブログはこちら
https://ameblo.jp/ebicha-lovinson
● ブログを再開したきっかけ
まずは、ブログを再開したきっかけについて。
一昨年、表参道の「えんとつ町のプペル展」で、展示会に行く前のオフ会で、東京のお友達キヨシさんとオフ会を共催していた広島のわいざんと初めてご一緒しました。
彼の本業はマーケティングコンサルタントなんだけど、半パンの派手なスーツを着ていて、つけまつげもつけてないのにまつげがバッサバサで、目が可愛くて、実はわいざんは別の方のニックネームだったという話を聞いて、キヨシさんだけじゃなくて、この人もおもろいなあと思ったのが第一印象。
わいざんの本業の紹介ブログはこちら
http://yzan.jp/archives/3959
以来、発信されてるら彼の考え方、行動が面白くて、応援することに決めました。
わいざん(@yzan_travel)のオンラインサロンで、ブログで発信していくことって大事だということを痛切に感じたんだけど、わたしには専門性はない。
じゃあ自分に何ができるのか?と思ったときに、わたしにできるのはこれまで辿ってきた道を知ってもらうことで、誰かの役に立つこともあるんじゃないかな、というところで、これまでの半世紀を振り返りつつ、今やってること、好きなこと、これからしたいことなどを綴っていけたらと、周りの影響もあり、とにかく始めてみることにしました。
だんだんと整えていこうと思います。